ホリエモンショック

unboy2006-01-21

ちょうど僕が小学校のころかな?たしか高度経済成長が始まって、仕事が忙しいからといってお金だけ親にもらって買い食いしている友達が出始めた。金儲けが民主主義の最高の形態というような風潮をメディアが平気で流すようになっているのも、このあたりに遠因があると思う。問題は話し合い(時間がかかる・めんどくさい)で解決しなきゃならないのに、それをお金でごまかしてもOKとかにしてしまった。
小泉はその意味で改革をしようとしたところまでは良かったけれど、氷河のようにかさぶたになってる硬直組織を解体する手間をはぶいて、子供にお金を渡すように規制だけを支離滅裂にはずしていった(ぶっ壊す)。なぜこの国がこんな極端で子供じみた方法しか選択できなくなったのか?そこが問題だ。硬直化した教育システムを壊すために総合学習という規制緩和をしたり、よくない大学を潰すために大学や学部の設置基準を緩めたり。細部をきちんと改善する手間を省いて、とりあえずぶっ壊せ手法の延長に今回の事件があった。声のデカイおばさんがPTAの会長になるとか、いじめの対象に学級委員長を選ぶとか、そんなことを平然と許してきた教師が山のようにこの国にはいるし、行政もそうやって適当にこの国をまわしてきた。それを日々見て育った若者たちが、抜け穴やズルをいつしか未来と勘違いしてしまったのも無理からぬことなのだ。長い不景気のトンネルを抜けた目の前に突如あらわれたホリエモンという蜃気楼を、経済の復興や未来象徴に祭り上げてしまうほど、この国は堕ちてしまったことに気付かねばならない。
急務なのはプチジョンイルの総点検か・・。三人以上のあらゆる組織が、建設的な提案をしやすい環境を科学的に整備し、それをリーダーが組み上げて改善するという当たり前のことを日本中で実行する。どんなに努力しても、柔軟性を欠いて若者の成長を妨げると判断したリーダーはその職を下りる(夢想?)。自らに厳しい健全な才能社会を建設することが、まっとうな民主主義を守ることになり、それが経済の持続的な発展や安全保障を保障することになる。改善は意外に簡単かもしれない。たとえば官僚(近代国家の血液)になるためには、必ず東大卒業後強固な国際人脈を得るために欧米(現状)の最高学府で再度学ぶ。その一行を国家公務員上級試験受験資格に入れるだけで、東大だけ出た「お山の大将」を排除することができるかもしれない。当然の副作用として日本を愛する外人官僚がたくさん増えたっていいかもしれない。・・・いつまでたってもまともにロケットもあげられず、アメリカが一時間に4500万株処理するのに、いまだに一日に450万株しか処理できない恥さらしの東京証券取引所を野放しにするというような珍事も防げるはずだ。
きっとどの職場にも素晴らしい改善案と夢を持っている若者がたくさんいるに違いない。ホリエモンのショックにめげず、これからはまっとうなことで無数のプチジョンイルを倒そうではないか!めげるな若い有能な日本人。

カプセルホテルの死

SONYの出井さんがアーティストサミットのシンポジウムに来られて、開口一番に「京都が来るたびにひどくなっている」と言われたことをふと思い出した。
河原町丸善が倒産しジャンボカラオケになる。ちいさな古書店が地代なのか固定資産税を払えずに消え去ったあとに、100均ができる。こうして京都のメインストリートは地方都市の国道沿いと同じ景観になる。電線がどうとか電柱を埋設どうのこうのという話ではない。実に殺伐とした光景が1000年の古都を急速に飲み込んでゆく。これが野放しの民営化ということであり、新自由主義を信奉する小泉+竹中が推薦する風景なのだろう。アネハすることも、ホリエモンすることも、そしておきなわのカプセルで文化を喪失した死を選ぶことも。すべて繋がっているように思えてならない。金もうけがすべてだと平気で言うようになってはおしまいだ。なぜこうも恥じも外聞もなく振舞う大人が横行するようになったのか。都市の誇り、人間の尊厳を忘れてこの国はどこへ行こうとするのだろうか・・

頼まれもしないのに

unboy2006-01-16

効果が急速に感染力を広げている。14日西区九条のシネ・ヌーヴォで「ジャマイカ楽園の真実」を鑑賞したあと、僕とアーティストの小沢剛氏を迎えてのトークセッション。そこからCASOで開催中の「いただきの楽園」という現代美術の展示を見て、夕方から千日前の美園にある「夕顔楼」というスナック???を借り切って小沢さんと再度トーク。梅田に移動して飲み会を終えて電車に飛び乗ったのが24時前でした。結局小沢さんとしゃべりまくりの12時間。
この奇妙な「夕顔楼」を使って僕がその時一番おもろいやないかと思うゲストを招いてのトークを企画して持ち込んで来たのがIMIの原田くん多田さんコンビ。この企画はこれから毎月か隔月で定期開催し、彼らが僕とトークさせたいと思う人と僕が密かに尊敬している怪人を織り交ぜながらテープ起こしから出版までやろうというもの。まだ出版社などを決めているわけでは無いとは思うけど、いやはや頼んでもいないしんどいことをよくまあ持ち込むよなあ〜というのが率直な感想です。でもこの「頼まれもしない」ことって意外に重要で、それが新しい時代を作ってゆくエンジンじゃないかと思うのです。こちらだってその情熱に感じ入るわけで、人選だって気合入れるし、きっと驚異的に面白いことになること請け合い。
今日も日経の取材中にその話をしたら、興味深深。ブログで読めるかとか聞かれたけれど、おっとどっこいブログでもmixiでも絶対流さない。あの陰鬱な空気、千日前の退廃感、タイムスリップしたような時空を伝えるは絶対本ですよ。きっとマガジンとかジャンプみたいな安物紙でやりそうな気配もするけど、この時代だからこそネット配信なんか絶対にしないぞ根性です。だから現地に来ないと聞けないし味わえない。おまけに毎回抽選というのもいい(20席くらいのちいさなスナック)。ネットに向くメディア、そうではないもの、きちんと情報デザインをやってゆきたいと感じます。
今後の日程とゲストはネットのどこかで散見されるかもですので、みなさん口コミの力をフル活用して捜索してください。

楽園の真実

unboy2006-01-08

の上映会と現代美術作家の小沢剛さんとのトークを、大阪の西区九条にあるシネ・ヌーヴォで14日に開催します。ただし、作品を見てからでないと参加できませんので午前10時30分からの上映に間に合うようにおこしください。
http://www.cinenouveau.com/index2.html

以前ブログでこの作品を紹介したあと、大阪のIMIでデモ版を現代美術の講座で紹介。研究生達がこの映画を見てインスパイアされ展覧会を同時開催するところまでこぎつけました。その過程でシネ・ヌーヴォさんのご好意で、トークも同時開催というコラボレーションが成立。
http://www.cwo.zaq.ne.jp/caso/top/top1.html

コラボレーションと言えば、京都造形のゼミ生達が発信する問題提起が成果を上げつつあることにも驚きを感じています。また詳しくご紹介できればと思いますが、京都女子大付属小学校に3回生が持ち込んだワークショップ(現在ドキュメント編集中)。京都タワーのリノベ計画を進行中のタワ研。http://blog.livedoor.jp/tawaken/archives/50449643.html
京都国立近代美術館に監視員の方のユニフォームリメーク提案を持ち込んだ3回生ユニット。http://www.momak.go.jp/06-Genman-phote-info.htmlいずれも少しのヒントで行動に繋げてゆく逞しさを感じます。

いままでの対面講義という形式から、自らが社会に偏在する問題を発見して解決策を提案するというデザイン本来のエンジンが若い学生に備わってきたのではないか、また社会がそのような若い提案に耳を貸す度量を備えてきたという印象があります。

新年にあたって検討課題のご紹介。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140910410/qid=1136681431/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-9099129-7730633
ネグリさんもマルチチュードはTOKYOに滞在して書くべきだったよね〜

大雪

unboy2005-12-22

2005年の平均気温は観測史上最高になったとワイアードの記事が告げた日に、20年ぶりの大雪になって皮肉なものだと思う。ほんとうに温暖化問題への取り組みは遅遅として進まないどころか、今年のように寒波がやってくるとたちまち氷河期になるんじゃないかと茶化されてしまう。確かに温暖化の問題はわからないことが多い。また観測が始まってたかだか100年ほど。フロンのときは要因が極めて狭い範囲で特定できたためペネロペさんの尽力で大きな成果を上げたのだが、温暖化に関してはあまりに要素成分が多く、カオスの極にあるので前途は多難である。デイアフタートゥモローもハリウッド映画の常、華氏911の場合と同じく、かえってリアリティーを薄める逆効果を発揮してしまった。
とはいえ、確実にトラックは爆走し、資源は枯渇し、温室効果ガスは増えている。気温も少しずつあがるだろう。地球がわずらった生活習慣病のようなこの問題。じわりじわりと進行し、いつしか治療不能のレベルにならねばよいのだが・・。

http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20051222301.html

凍結列島

やっと休日がやってきて溜まった仕事に取り掛かる準備。しかしドイツから作品のクレートが6個も戻ってきたので、スタジオはもうドローイングのスペースしか残っていない。なんとかこれをどこかに引き取ってもらわねばと思いながら、まだまだ改造したいので工場がないかなとため息。工場といえば僕の持論はアートは工場から。じっくり腰を落ち着けてプロダクトを作りこむ場所があってはじめてクオリティイーの高い作品を持続的に生み出すことが可能になる。ナントのロワイヤルデラックスの大道具という名のモンスターアートも、錬金術を生み出す怪しい工場があってはじめて可能になるのだ。
そんな折とても悲しいことが起こった。長年バルーンの制作を引き受けていただいていたサンアドバルーンのKさんがお仕事を辞められるとのこと、あの3ミリでビニールをつなぎ合わせる技はもう誰も引き継げない。そして僕のロボットをいつも作ってくれていた京都のGさんも長年の闘病の果てに天国に召された。情熱とローコストで闘うアーティスト達を支えてくれた愛情あふれるファクトリーの人々が消えてゆく。2007年問題はアートの現場にも否応なくやってくる。そしてネットトレードをしている暇な人間が豊かになって、何も作れない変な日本人ばかりが増えてゆく。
作ることが好きな人間は文明のなかでマリンスノーのように好んで貧しくなろうとするのかもしれないが、いつまで虚世界の増殖が続くのだろうか・・
http://hotwired.goo.ne.jp/original/hamano/051206/index.html

美は見るものではなく想像するもの

unboy2005-12-18

最近いろいろなプロジェクトをするたびに、人々の他ジャンルへの興味や関心の希薄さが異様に感じるように思えてきた。コンテンポラリーの人間は、ブロンズと聞いただけで古いと思って切り捨てるし、オタクは蛸壺にこもったように自分の環境を見えない外敵から守るべく身構える。メディアアートと聞くだけで「わたしコンピュータに弱いから・・」と言ってしり込みする。なぜもっと楽しもうとしないのだろうか?それだけならまだしも、まだこの時代になってもアナログVSデジタルなどという簡単で紋切り型の論法が横行している。
そんなおり、15日のゴランレビン達のパフォーマンスはそのことを学生に伝える良い機会となった。通りがかりに釘付けになった学生は「またVJでもやってるんだろう」(完全に切り捨て)と思って通り過ぎようとしたら、何か違う気がして立ち止まったとのこと(そのまま帰った学生も多い)。いつもはコンピュータを避けがちな彼女は興奮して「好奇心」がわいたと僕に言う。
彼らは5歳から80歳までわかるように、感動を与えられるように作っているとさりげなく語る。もうひとりの男子学生が言った「ほんとうに楽しそうですね」。トークのときにゴランにそのことを伝えると。「つらいプログラムがあるから、せめてパフォーマンスのときに楽しみたい」。
僕たちには、彼らの作品のバックグラウンドで動いているC++の言語を見ることはできない。最高にエレガントで天才的でもっとも美しい人工言語こそが最高の作品であるにもかかわらず、、、。
可視光線や可聴領域外の膨大な情報も含め、いつになったら我々はそれらの美に謙虚になれるのだろうか・・