15日にメディアアートのパフォーマンス

unboy2005-12-12


があるので、ぜひ京都造形大学に遊びに来てください

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以下転送希望

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ゴラン・レヴィン+ザッカリー・リバーマン in Kyoto
パフォーマンス&ポストトーク

「デジタルアートフェスティバル東京2005」招待作家
ゴラン・レヴィンとザッカリー・リバーマンが来校
メディアアートに新機軸をもたらすパフォーマンスを行います
その後、ゲストにダムタイプ藤本隆行
ATRメディア情報科学研究所のロドニー・ベリー氏を迎え
テクノロジーとアートの新たな関係構築にむけて、縦横無尽のトークを展開します
古都京都で、メディアアートのエッジに出会えるこの機会、ぜひお見逃しなく!!

★パフォーマンス★
マニュアル・インプット・セッション Manual Input Sessions
有機物と影を合成し、不思議な影絵芝居のような映像を映し出すパフォーマンス
パフォーマーがスライド上に描いた走り書きや、オーバーヘッドプロジェクターにかざ
した手の影を、彼らの創造したアルゴリズムが解析!

★ポストトーク
「テクノノロジーと生きる」 ー近未来のメディアアート像をさぐるー
パネリスト:ゴラン・レヴィン、ザッカリー・リバーマン
藤本隆行ダムタイプビジュアルクリエーター)
ロドニー・べリー(ATRメディア情報科学研究所)
モデレーター:椿昇京都造形芸術大学空間演出デザイン学科教授)

ゴラン・レヴィン Golan Levin
アーティスト、作曲家、パフォーマー、エンジニア。
MITメディアラボにてB.A.とM.A.を取得。
現在カーネギーメロン大学(U.S.A.)のElectronic Time-based Art助教授。

ザッカリー・リバーマン Zachary Lieberman
ニューヨーク市立大学ハンターカレッジ卒業。
現在パーソンズデザインスクール(U.S.A.)で助手を務める。
「アルテ・エレクトロニカ」「公州ビエンナーレ2002」などで活躍。

日時:2005年12月15日(木)6:30pm−8:30pm
場所:ギャルリ・オーブ(人間館1F)
定員:100名(先着順)

主催:京都造形芸術大学空間演出デザイン学科、関西アメリカンセンター
協力:アメリカ大使館、NHKエンタープライズ
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発見された方は転送よろしく〜

絶対見て損は無い(笑)

unboy2005-11-28


11月30日の16時10分から17時30分まで、京都造形芸術大学春秋座で講演します。

○26日に横浜で開催されたEU諸国の都市再生プロジェクトカンファレンスに参加した成果を、僕のデータに付加して報告します。近代遺産の再生などにも重要な資料を提供します。

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EU諸国に見る都市再生とアート」
椿 昇(つばき・のぼる)
コンテンポラリーアーティスト
本学空間演出デザイン学科教授

日時: 11月30日(水) 16:10〜17:30
場所: 春秋座
講演内容
 ヨーロッパでは近年、アートが地域社会の成長と発展を促す上で、大変重要な役割を担っています。巨大な産業遺構のアートスペースへの転用や、新しい芸術都心の創出によって、衰退した工業・港湾都市を再生する取り組みは、周辺産業としての観光や商業分野における雇用を創出し、さらには地域・都市・そしてそこに暮らす人々の生活環境の活性化に大きく貢献しています。今月25日と26日「2005年、日本・EU市民交流年」事業の一環として実施された「EU・日本創造都市交流- Arts for Community Growth and Development」は、こうしたヨーロッパでの試みに学び、日本における地域再生のあり方を探る国際会議でした。その成果を受け、僕が今まで集積したナント、パリ、ライプツィヒの事例を紹介しながら、日本が抱える現状の問題点を踏まえてさまざまなソリューションを提供したいと思います。
http://irccas.kyoto-art.ac.jp/topics/topics.html
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ご覧になった方は転送よろしくお願いします。

いつも急ですみません;;

19日(土)

芳賀学長とトーマス

 リーさん、蔡さん、ジェーン、カチョー、トーマスが揃う。アンは日程で明日の朝から入るとのこと。オフィスのミーティングテーブルでコーヒーを飲みながら全体の進行を宮島君が指揮する。いよいよ始まる。階段を降り80人の傍聴席を通り円卓の名前が張られた席に着いた。僕は傍聴席を背にする格好。これはありがたい、相互の対話に集中力を保つことができる。ジェーンが観客に対面する位置にいたことがプレッシャーになっていたということに少しして気付いたが、翌日は宮島が配慮して背の位置に席を移していたので安堵する。彼女は沈黙が美しく、静かな立ち居振る舞いが表現に昇華している。
 やはり通訳がずらりと並び、スタッフや傍聴者やカメラが入ると場の緊張感はいやおうなく高まる。なんどか流れをシミュレーションし、頭では冷静になっているつもりだったが、事前に用意した詳細なソリューションプランの出る幕は無さそうな気配だ。トーマスと無法松で話し合ったこともベースにあったが、人類の危機を解決するなどという案などという大層な話を一アーティストが安直に出せるわけが無い。誰が口火を切るのか?どういう方向になるのか・・・。
 細かい対話の経緯は後日リリースされるドキュメントに譲るとして、いくつか感じた潮目について記しておこうと思う。まずリー先生のアーティストとしての姿勢やアートの定理へのアプローチから大運動が始まった。この哲学的な命題が最初にたち現れたことに、僕は心から快哉を送りながらも成り行きが抽象論の応酬という最悪に結末になりはしないかという大きな危惧を抱く。しかしその危惧は直ちに杞憂に終わる。キューバのカチョーが「パッションと連帯」というアートの持つ根源的な輝きで応戦に出た。リー先生の話を聞きながらイライラしたかのようにドローイングをしていた彼は、手元に書いていたドローイングを背面に広がるカリブの海のようなブルーボードに豪快に展開しながら吼えた。僕はふたたび嫌な予感に襲われる。この場を単純な二項対立のバトルフィールドにしてはならない。絶対に避けるべきは二項対立。カリブにあるとは言っても、彼は共産党のエリートでありブルジョアVSプロレタリアートという階級闘争の歴史と思想が刻み込まれているはずなのだ。
 20世紀はほんとうに悲惨な時代だった。自由や解放という名のもとに多くの血が流された。テクノロジーは人を救済するよりも、多くの殺人に手を貸してしまった。「多様性」は名目だけの飾りになり、二大政党が絶対の善であるように大手を振って誰も疑おうとはしない。相手を打ち負かすことだけが価値なのか?自由という言葉を暴走させたことに反省は無いのだろうか・・・。
 すぐに僕は二人の提案は対立項ではないという意味の仲裁的な発言をし、全員に確認の了承を取ってもらう。我々が集まった意味をそれぞれが再確認しなければ宮島の舵取りが難しくなってしまう。敵を捏造して自己を高めるという20世紀のエンジンを、種や文化の多様性を保持して持続可能な社会を発展させるハイブリッドエンジンに転換するというビジョンを示すことが出来なければこのサミットは失敗する。
 しかし、僕の心配は杞憂に終わった。カチョーはその後も討議が抽象化することを何度も救いながらも、対立項を生成しないよう言葉を慎重に選んでくれた。実にクレバーな奴。そして相変わらず手元のA4コピー紙へブクブクと言語化できない意志をドローイングに置き換えている。僕が討議中目配せすると、船とマイクを書いたドローイングをさっと僕の方にすべらせてくれた。今となっては詳細な記憶を取り戻すことはできないが、後日発行される対話の経過を負うドキュメントに、彼のドローイングを挿入したかった。
 こうして最初の危機が去ったあと、トーマスが、そして蔡さんが約束通り具体策の提案をした。特に蔡さんが紹介した金門島の例は会場の空気をやわらげた。軍事施設として建築されたトーチカをラブホテルに改造するという計画。しかし初期の提案は退役軍人の猛反発を引き起こす。その反発をテコに軍を巻き込んだ彼は、最終目標の美術館へとそれらを転用し5万人の島に85万人の観光客を呼び込むことに成功した。茨木の廃船掘り起こしに始まった彼のスタイルは脈々と受け継がれ、地域の住民に誇りを与えて持続する。一過性の代理店仕事とトップアーティストの究極の差。それは、持続するシステムを個が責任を負って提案する責任のありかたと、企業や行政という顔の無い組織が、短期的な収益のみを追うことで生じる無責任の差異である。
 京都盆地を一望できる高台にある子供芸大で昼食を摂る。リラックスしてはいるが、僕は相変わらずトーマスとやりとりをする。彼は僕の乗っている初期型プリウスをずっと気にして、なんとかドイツのメーカーに環境対策の重要性を伝えたいと言う。アストンマーチン社のCEOには直接話しができるので、環境をテーマにしたプロジェクトを日独で展開する企画を立てることを約束した。大きなプロジェクトが出てくるのは、おおむね会議の場ではなく、ランチミーティングや、飲み会の場などというのは理解できる。トーマスはしきりに討議時間の少なさを嘆く。長すぎる昼の休みをなんとか短縮できないかと事務方にネゴしている。彼は山のように語りたいことがあり、一週間でも二週間でも話していたいのだろう。マーケットの強い支持を得た彼の作品は、彼の想いとは遠いところで売買され、誰も彼の言葉には耳を貸そうとしない。彼はこのミーティングを奇跡だといった。少年のように想いを語り合えるのは夢のようだと、まだ始まったばかりなのに「次はどこでするんだ?」メンバーは同じがいいなどと子供じみたこという。
 ランチボックスを開けるときから、僕はもう午後のことに頭が飛んでいた。ある程度具体案を出すのか?、午前中リー先生が示したパラダイムの転換を確定するのか?、今回のサミットを21世紀前半を導く理念形成の場にしなければならないという切迫感が上ってくるなかで午後が始まった。しかし、それは僕のうちにだけ存在するものではなかった。再度リー先生が確認するかのように沈黙や尊敬ということばが出る。僕も利己から利他へ、オープンソースというネットから育った理念で古い東洋のアイデアをリフレッシュしようと試みる。予想外の出来事と彼が何度も僕に語った光景が始まる。鍛え上げられた欧米の論客が、競争と自由を肯定しない東洋的なビジョンに同意している。抽象論に走りそうにそうになると、カチョーが繰り返し「光、真実、愛情」という言葉と、ドローイングを発射する。実に見事なゲームメイク。徐々に僕も、アーティストたちも何を話すかということよりも、神業のようにパスを繰り出し、言葉のポジションチェンジを楽しむようになっていた。全員が最高のミッドフィルダーのようにダイアローグを楽しみ、ジェーンも沈黙と視線の交歓に多くの意味を持たせるようになる。
 突如、蔡国強の提案が空気を切り裂く。「戦争ビエンナーレ」の開催。それもバグダッド。そして静かに彼は青いボードに向かい、チャドルをまとった自爆テロの女性を描き始めた。そして言う。爆弾を使ってインタラクティブアートをする。手を上げると爆発ではなく音や光が飛び出すと・・。なんという不謹慎で大胆なアイデアだろう。現代に生きるアーティストが何をしなければならないかを、彼は電撃的に伝える。「神を恐れるな」、その巨大な困難に勇気を持って立ち向かえなければアーティストと名乗るな!。言外の強烈な意志を感じて思わず僕はたじろいだ。ニューカッスル、ゲーツヘッドの守護天使像のことを思い出す。当初市民の80%が反対し、結果は市民の80%が喜んでいる。自由と民主主義は果たして絶対なのか?。多数であることを、正義や良識と安直に置き換えるメディアに対抗し得るのは、アーティストしかいないのだ。アーティストの批判精神と、あらゆる利権から距離を置く姿勢こそが、戦争回避の鍵となる。そして多数に組しないことが多様性を維持し、自由な発言機会を守り、究極的に平和な社会を築く礎となる。不安感で個を操作し、過剰な消費を生み出す構造の上に固定された個人をどれほど大量に集めても、民主主義は生まれない・・・。
 遠くで拍手が聞こえる・・。初日がなんとか終わった。オフィスに戻る途中で、いろいろな人から挨拶をもらったり握手したはずだが、何も覚えていない。頭のなかをいろいろな言葉が行き来し、マトリックスのなかに落ち着き場所を求めて彷徨っている。こんなに素晴らしい疲労感ははじめてだ。あらためて、KYOTOという名前の持つ力に驚く。アーティスト達が異口同音にリラックスしたといってくれるのは、ここが21世紀の聖地になりうることを示している。ニュートラルゾーン。不思議な浮遊感。サミットなどという生臭い行為を優しく引き受ける力はTOKYOやNYには荷が重い。
 その夜は宮島夫妻の招待で居酒屋で飲み会。リー先生に張り付いて、李朝民画のことや東洋哲学のことを話し込んだ。先哲の教えをまじかに聞く機会など滅多にあるものではなく嬉しくてたまらない。トーマスとも明日に向けて朝から二人でMTGの約束をし、気持ちの良い疲労感に包まれてホテルに戻った。

トリプルブッキング

unboy2005-11-18

18日(金)
ブルーボード、円卓やソファ周辺は完璧なのだが、PCとフードコーナーのデスクがどうにも気に入らない。宝ヶ池のコーナンで集成材を買い、池永先生に助けてもらい木工室で超速加工。11時に会場に運び込んだあと、1回生の作品を岡崎公園に搬入するためレンタカーで4往復。大野木学部長が何度も心配して、運転をかわろうと言ってくれるが、こちらも学科長の責任があり手を抜くわけにはゆかない。
 やっと間に合ってインタビュールームへ行くと、今福さんと一色さん。OKドリームチーム完璧だ。フォトグラファーが差し出すポラもブラックアンドホワイトの専用フィルムを使っている。こうでなくてはと思う。クオリティー管理こそコンテンポラリーアートの命。きっと素晴らしいものになるだろう。英語のテクストと各作家無編集一本撮りのDVDが無償で世界の美術館やライブラリーに寄贈される。地味ではあるが良心的な仕事。ナショナルジオグラフォックやBBCには遠く及ばないとしても、誠実な仕事が未来を創る。
 インタビューを終え、急いで会場に置くPCなどのセッティングをしていると歓迎会へ急げのコール。よくまわると思うほど過密スケジュール。
 昨夜あれほど心配していたカチョーはパリで12時間足止めを食らったあと、ちゃんと関空に到着していたとのこと。宮島の満面の笑みがサミットの行方を明るく照らし、我々は普段行くことの無い祇園お茶屋で、タイムスリップしたかのような時を過ごす。とにかくカチョーのくりくりした目とぬいぐるみのような体型がかわいい。マシンガンのようにデジカメを発射するのはトーマスも同じ。トップクラスはほんとうに無邪気で素直な人が多い。帰路クシーに岡崎公園に寄ってもらい、一回生の残業に付き合う。池永先生や原田先生に差し入れをして、明日の準備もあり30分程度で戻った。

17日(木)

unboy2005-11-17

宮島君がカチョーを伊丹まで迎えにゆくというので、僕と鈴木君でトーマスさんをもてなすことになった。大学に近い無法松という小料理屋に入ったのは21時を過ぎていただろうか、彼とは初対面だったが鈴木君がドイツで彼のアシスタントをしていた関係もあって、すぐに打ち解けていろいろな話を始める。オフィスで会ったときから風邪ぎみなのか凄く咳き込み、店に向かう道すがらも苦しそうにしていたこともあり、少し暖かいものを摂ってすぐにホテルに送ってゆこうと思っていた。
 ところがところが、エビスビールで乾杯をして料理を口にしたとたん、咳に替わって言葉が次々に繋がってやって来る。決して早口ではなく、一言一言確認するかのように・・。気がつくと23時30分。もう誰も客はいない。まだ話をしたそうな彼を鈴木君が見送り、僕は有馬まで戻るため駐車場へと向かった。そんな時だったと思う。宮島君からのコールあり、伊丹でずっと待っていたのにカチョーが飛行機に乗っていないという落ち込んだ声。能天気な僕はすぐに「キューバからだし、そんなもんじゃない?だって乗り継ぎでのトラブルもあるよ」と慰める。
 彼は、数日前にゾリオが急プライベートな問題で参加でいないと連絡してきたこともあって、ややナーバスになっていた。オープンするまで何年も準備してきたので気持ちは痛いほどわかるが、そう言って慰めるしかなかった。

豪華バージョン

茂木さんと塚本さんが来るぞ!

◆『神戸アートアニュアル2005 眺めるに触れる』関連企画◆
【プログラムB ゲストトーク】要電話予約
参加費各回500円・定員70名、リハーサル室2

◎11月6日(日)14:00〜 アトリエ・ワン(建築家)
1992年、塚本由晴(1965年神奈川県生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。現在、
同校助教授。)と貝島桃代(1969年東京都生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。
現在、筑波大学専任講師)によりアトリエ・ワン設立。独自の視点による都市観察を
ふまえ、狭い敷地を逆手にとってユニークな形式の小住宅を発表する他に「上海ビエ
ンナーレ」など国際美術展にも多く参加。主な設計作品に『ミニ・ハウス』、『ガエ
ハウス』。その他の作品・著作に『マンガ・ポッド』、『メイド・イン・トーキョー
』などがある。

◎11月6日(日)17:30〜 茂木健一郎脳科学者)
1962年東京都生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。ソニーコン
ピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京工業大学大学院客員助教授(脳
科学、認知科学)。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関
係を研究している。著書に『脳とクオリア』(日経サイエンス社)、『意識とはなに
か--<私>を生成する脳』(ちくま新書)、『スルメを見てイカがわかるか!』(角
川書店、養老孟司氏との共著)、『脳と仮想』(新潮社)、『「脳」整理法』(ちく
ま新書)などがある。

■追加情報■
前日の11/5(土)は「藤浩志プロデュース 湊川公園の饗宴」でアトリエ・ワン
「紙のアーチ」の制作も行います。
http://kavc.or.jp/art/sas/100th/

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ってことで夜は新開地で束芋チームも合流して飲み会なり〜