19日(土)

芳賀学長とトーマス

 リーさん、蔡さん、ジェーン、カチョー、トーマスが揃う。アンは日程で明日の朝から入るとのこと。オフィスのミーティングテーブルでコーヒーを飲みながら全体の進行を宮島君が指揮する。いよいよ始まる。階段を降り80人の傍聴席を通り円卓の名前が張られた席に着いた。僕は傍聴席を背にする格好。これはありがたい、相互の対話に集中力を保つことができる。ジェーンが観客に対面する位置にいたことがプレッシャーになっていたということに少しして気付いたが、翌日は宮島が配慮して背の位置に席を移していたので安堵する。彼女は沈黙が美しく、静かな立ち居振る舞いが表現に昇華している。
 やはり通訳がずらりと並び、スタッフや傍聴者やカメラが入ると場の緊張感はいやおうなく高まる。なんどか流れをシミュレーションし、頭では冷静になっているつもりだったが、事前に用意した詳細なソリューションプランの出る幕は無さそうな気配だ。トーマスと無法松で話し合ったこともベースにあったが、人類の危機を解決するなどという案などという大層な話を一アーティストが安直に出せるわけが無い。誰が口火を切るのか?どういう方向になるのか・・・。
 細かい対話の経緯は後日リリースされるドキュメントに譲るとして、いくつか感じた潮目について記しておこうと思う。まずリー先生のアーティストとしての姿勢やアートの定理へのアプローチから大運動が始まった。この哲学的な命題が最初にたち現れたことに、僕は心から快哉を送りながらも成り行きが抽象論の応酬という最悪に結末になりはしないかという大きな危惧を抱く。しかしその危惧は直ちに杞憂に終わる。キューバのカチョーが「パッションと連帯」というアートの持つ根源的な輝きで応戦に出た。リー先生の話を聞きながらイライラしたかのようにドローイングをしていた彼は、手元に書いていたドローイングを背面に広がるカリブの海のようなブルーボードに豪快に展開しながら吼えた。僕はふたたび嫌な予感に襲われる。この場を単純な二項対立のバトルフィールドにしてはならない。絶対に避けるべきは二項対立。カリブにあるとは言っても、彼は共産党のエリートでありブルジョアVSプロレタリアートという階級闘争の歴史と思想が刻み込まれているはずなのだ。
 20世紀はほんとうに悲惨な時代だった。自由や解放という名のもとに多くの血が流された。テクノロジーは人を救済するよりも、多くの殺人に手を貸してしまった。「多様性」は名目だけの飾りになり、二大政党が絶対の善であるように大手を振って誰も疑おうとはしない。相手を打ち負かすことだけが価値なのか?自由という言葉を暴走させたことに反省は無いのだろうか・・・。
 すぐに僕は二人の提案は対立項ではないという意味の仲裁的な発言をし、全員に確認の了承を取ってもらう。我々が集まった意味をそれぞれが再確認しなければ宮島の舵取りが難しくなってしまう。敵を捏造して自己を高めるという20世紀のエンジンを、種や文化の多様性を保持して持続可能な社会を発展させるハイブリッドエンジンに転換するというビジョンを示すことが出来なければこのサミットは失敗する。
 しかし、僕の心配は杞憂に終わった。カチョーはその後も討議が抽象化することを何度も救いながらも、対立項を生成しないよう言葉を慎重に選んでくれた。実にクレバーな奴。そして相変わらず手元のA4コピー紙へブクブクと言語化できない意志をドローイングに置き換えている。僕が討議中目配せすると、船とマイクを書いたドローイングをさっと僕の方にすべらせてくれた。今となっては詳細な記憶を取り戻すことはできないが、後日発行される対話の経過を負うドキュメントに、彼のドローイングを挿入したかった。
 こうして最初の危機が去ったあと、トーマスが、そして蔡さんが約束通り具体策の提案をした。特に蔡さんが紹介した金門島の例は会場の空気をやわらげた。軍事施設として建築されたトーチカをラブホテルに改造するという計画。しかし初期の提案は退役軍人の猛反発を引き起こす。その反発をテコに軍を巻き込んだ彼は、最終目標の美術館へとそれらを転用し5万人の島に85万人の観光客を呼び込むことに成功した。茨木の廃船掘り起こしに始まった彼のスタイルは脈々と受け継がれ、地域の住民に誇りを与えて持続する。一過性の代理店仕事とトップアーティストの究極の差。それは、持続するシステムを個が責任を負って提案する責任のありかたと、企業や行政という顔の無い組織が、短期的な収益のみを追うことで生じる無責任の差異である。
 京都盆地を一望できる高台にある子供芸大で昼食を摂る。リラックスしてはいるが、僕は相変わらずトーマスとやりとりをする。彼は僕の乗っている初期型プリウスをずっと気にして、なんとかドイツのメーカーに環境対策の重要性を伝えたいと言う。アストンマーチン社のCEOには直接話しができるので、環境をテーマにしたプロジェクトを日独で展開する企画を立てることを約束した。大きなプロジェクトが出てくるのは、おおむね会議の場ではなく、ランチミーティングや、飲み会の場などというのは理解できる。トーマスはしきりに討議時間の少なさを嘆く。長すぎる昼の休みをなんとか短縮できないかと事務方にネゴしている。彼は山のように語りたいことがあり、一週間でも二週間でも話していたいのだろう。マーケットの強い支持を得た彼の作品は、彼の想いとは遠いところで売買され、誰も彼の言葉には耳を貸そうとしない。彼はこのミーティングを奇跡だといった。少年のように想いを語り合えるのは夢のようだと、まだ始まったばかりなのに「次はどこでするんだ?」メンバーは同じがいいなどと子供じみたこという。
 ランチボックスを開けるときから、僕はもう午後のことに頭が飛んでいた。ある程度具体案を出すのか?、午前中リー先生が示したパラダイムの転換を確定するのか?、今回のサミットを21世紀前半を導く理念形成の場にしなければならないという切迫感が上ってくるなかで午後が始まった。しかし、それは僕のうちにだけ存在するものではなかった。再度リー先生が確認するかのように沈黙や尊敬ということばが出る。僕も利己から利他へ、オープンソースというネットから育った理念で古い東洋のアイデアをリフレッシュしようと試みる。予想外の出来事と彼が何度も僕に語った光景が始まる。鍛え上げられた欧米の論客が、競争と自由を肯定しない東洋的なビジョンに同意している。抽象論に走りそうにそうになると、カチョーが繰り返し「光、真実、愛情」という言葉と、ドローイングを発射する。実に見事なゲームメイク。徐々に僕も、アーティストたちも何を話すかということよりも、神業のようにパスを繰り出し、言葉のポジションチェンジを楽しむようになっていた。全員が最高のミッドフィルダーのようにダイアローグを楽しみ、ジェーンも沈黙と視線の交歓に多くの意味を持たせるようになる。
 突如、蔡国強の提案が空気を切り裂く。「戦争ビエンナーレ」の開催。それもバグダッド。そして静かに彼は青いボードに向かい、チャドルをまとった自爆テロの女性を描き始めた。そして言う。爆弾を使ってインタラクティブアートをする。手を上げると爆発ではなく音や光が飛び出すと・・。なんという不謹慎で大胆なアイデアだろう。現代に生きるアーティストが何をしなければならないかを、彼は電撃的に伝える。「神を恐れるな」、その巨大な困難に勇気を持って立ち向かえなければアーティストと名乗るな!。言外の強烈な意志を感じて思わず僕はたじろいだ。ニューカッスル、ゲーツヘッドの守護天使像のことを思い出す。当初市民の80%が反対し、結果は市民の80%が喜んでいる。自由と民主主義は果たして絶対なのか?。多数であることを、正義や良識と安直に置き換えるメディアに対抗し得るのは、アーティストしかいないのだ。アーティストの批判精神と、あらゆる利権から距離を置く姿勢こそが、戦争回避の鍵となる。そして多数に組しないことが多様性を維持し、自由な発言機会を守り、究極的に平和な社会を築く礎となる。不安感で個を操作し、過剰な消費を生み出す構造の上に固定された個人をどれほど大量に集めても、民主主義は生まれない・・・。
 遠くで拍手が聞こえる・・。初日がなんとか終わった。オフィスに戻る途中で、いろいろな人から挨拶をもらったり握手したはずだが、何も覚えていない。頭のなかをいろいろな言葉が行き来し、マトリックスのなかに落ち着き場所を求めて彷徨っている。こんなに素晴らしい疲労感ははじめてだ。あらためて、KYOTOという名前の持つ力に驚く。アーティスト達が異口同音にリラックスしたといってくれるのは、ここが21世紀の聖地になりうることを示している。ニュートラルゾーン。不思議な浮遊感。サミットなどという生臭い行為を優しく引き受ける力はTOKYOやNYには荷が重い。
 その夜は宮島夫妻の招待で居酒屋で飲み会。リー先生に張り付いて、李朝民画のことや東洋哲学のことを話し込んだ。先哲の教えをまじかに聞く機会など滅多にあるものではなく嬉しくてたまらない。トーマスとも明日に向けて朝から二人でMTGの約束をし、気持ちの良い疲労感に包まれてホテルに戻った。