美は見るものではなく想像するもの

unboy2005-12-18

最近いろいろなプロジェクトをするたびに、人々の他ジャンルへの興味や関心の希薄さが異様に感じるように思えてきた。コンテンポラリーの人間は、ブロンズと聞いただけで古いと思って切り捨てるし、オタクは蛸壺にこもったように自分の環境を見えない外敵から守るべく身構える。メディアアートと聞くだけで「わたしコンピュータに弱いから・・」と言ってしり込みする。なぜもっと楽しもうとしないのだろうか?それだけならまだしも、まだこの時代になってもアナログVSデジタルなどという簡単で紋切り型の論法が横行している。
そんなおり、15日のゴランレビン達のパフォーマンスはそのことを学生に伝える良い機会となった。通りがかりに釘付けになった学生は「またVJでもやってるんだろう」(完全に切り捨て)と思って通り過ぎようとしたら、何か違う気がして立ち止まったとのこと(そのまま帰った学生も多い)。いつもはコンピュータを避けがちな彼女は興奮して「好奇心」がわいたと僕に言う。
彼らは5歳から80歳までわかるように、感動を与えられるように作っているとさりげなく語る。もうひとりの男子学生が言った「ほんとうに楽しそうですね」。トークのときにゴランにそのことを伝えると。「つらいプログラムがあるから、せめてパフォーマンスのときに楽しみたい」。
僕たちには、彼らの作品のバックグラウンドで動いているC++の言語を見ることはできない。最高にエレガントで天才的でもっとも美しい人工言語こそが最高の作品であるにもかかわらず、、、。
可視光線や可聴領域外の膨大な情報も含め、いつになったら我々はそれらの美に謙虚になれるのだろうか・・