白いパリ

このドアはムスリムの少年が鍵を開ける

目が覚めるとパレスチナに行く前に泊まった同じホテルにいた。昨日のことがまるで何年も前の出来事のように遠く感じられる。少し窓を開けてインドネシア産のシガーに火を点けたが僕が生きているのか死んでいるのか奇妙な浮遊感が頭の奥で耳鳴りのように響いている。古ぼけた14インチのブラウン管に映し出される天気予報がここが外国だということを告げるのを見ながら飲み残しのミネラルウォーターを口に含んだ。
 
 昨日はほんとうに長い一日だった。聖墳墓教会で熱に浮かされたような気分に陥り、時間と空間のどこに自分が存在するのかわからないままベングリオン空港の出国審査の列に並んだ。空港まで送ってくれたハナさんと相馬さんが抱き合って別れを惜しんでいるが、僕はこれから山のように質問攻めにあうと思うと鬱々とした気分に陥ってしまう。うっかりラマラにいたなどと言おうものなら大変なことになるのはわかりきっていた。とは言え嘘をついて相馬さんと発言が食い違えば双方別室でさらなる厳しいチェックが待ち受けることも予想できた。心配する相馬さんに「開き直って正直に聞かれたことだけに答える」という約束だけして何気に列に並ぶ。幸か不幸かまったく観光客の消えたイスラエルでは逆にどこへ行っても待ち時間というものを気にしなくていい。当然空港の審査でも数十人が並ぶ寂しい風景がそこにあるだけだった。
 まず学生のような若い質問官が順次乗客に口頭試問をする。僕と相馬さんのところに若いハンサムな男子学生と二人の女子学生(恐らく)が来ていくつかありきたりの質問をして戻って行った。それはOKということではなく、上級の審査員を呼ぶためだったとすぐにわかる。恐らく30代前半だろう、小柄な上司が僕のところにやって来て、仕切りロープを外しながらこちらへ来いと言う。「さあ始まるぞ!」と気合を入れながら荷物を持って列を外れた静かな場所までついてゆく。

Q:この荷物なは全部お前のものか?
A:もちろん!
Q:滞在中何か受け取ったか?
A:無い無い!※ラマラで買ったお菓子の袋を見たらどこに行ったか一発でばれるが、そこまでは詮索しないようでやや安心・・
Q:旅行の目的は?
A:観光です※いまどき観光ということ自体怪しい
Q:どこに行った?
A:エルサレムあちこち
Q:何日滞在した?
A:5日
Q:どこ見た?
A:聖墳墓教会
※ここで24年キリスト教の学校に勤務していて、一度聖地を見たかったと言う。友人から今はイスラエル観光はお客が少ないからとアドバイスしてもらったことなど言う。聖歌なら何曲も歌えるぞ!
Q:あの女性とはどういう関係だ?
A:僕はアーティストで彼女はアートネットワークジャパンの担当者です
Q:年齢が離れすぎてるじゃないか?
A:彼女は僕のスポンサーだい!
※あきらかに俺達怪しいと思ってるらしい・・
Q:お前のワイフはこのことを知っているのか?
A:オフコース!今電話してもいいぞ!
※にいちゃん、それってプライベートな質問やないか!と思いつつベタな方向に流れた質問にやや安心。不倫のカップイスラエル逃避行もありかと、非常時の考えが浮かぶ・・。下手にNPOやジャーナリストと思われるよしましかも。

その後いくらかやりとりの後、意外なことに10分以内で開放され、なんと荷物を空けさせられることも無くチェックインカウンターに通された。なんというか拍子抜け。彼ら独特の嗅覚があるのかもしれないが一気に肩の力が抜けてしまった。とは言え相馬さんはその後20分近く別室であれこれ聞かれ荷物も全部空けられたらしく憤慨している。どうやら女性のほうが怪しまれるのかもしれないと思いつつ、無事に搭乗ゲートのショップまでたどり着いた。

いや〜なんという開放感。もう口に出来ないくらい嬉しくなって相馬さんとビールで乾杯。パレスチナにいた緊張感で最悪数日は牢獄体験かもと妄想を膨らませていたので、ほんとにビールが美味かった。エルサレムでは買い物の時間が無く、買っておきたかった90年代のイスラエルのハウスとダンスCDを7枚買って機内の人となった。

やっとパリだ。21時発のRERの車窓にぼんやり映し出される自分の顔を見ながら、絶対誰もが避けて通ろうとする穴に自分が落ち込んで行くのを感じていた。