アラファトの家ゴルゴダの丘

彼は死ねない!

今日でひとまずパレスチナを去るのだが、すでに何年もいたかのような錯覚がある。こうやってやっとの思いで言葉にしていなければきっと総てが記憶の襞に畳み込まれて都合のよい日常に押しつぶされていただろう。意識がジェットコースターに乗ったように上昇と下降を繰り返す。
昨夜もモアッズと話しこんだあとジョージの家で大バーベキューパーティーだった。モアッズの彼女(女優さん)やスタッフの若い女性とジョージの娘さんや俳優のみんなを合わせると20人以上いたのではないか?我らがモアッズは赤いエプロンに何丁ものコテを差し、一人いそいそとバーベキューを焼いては、次々にゲストのところへ運ぶ。
ほどなくして僕がいろいろな人たちと話しを終えた頃を見計らうと(彼は実に謙虚できめ細かい心配りをする)横へ来て「What are you doing?」とジョークを飛ばした。あわてた僕が「手伝うよ!」と言ってテラスに飛び出すと、完璧に燃焼する炭の上にあと少しで焼きあがりそうなメインイベント七面鳥の串が目に飛び込んだ。味見したらという意味と、そろそろ二人で相談しないかい?という誘いの言葉が「What are you doing?」。素晴らしいぞモアッズ!爽快な夜風にもてあそばれながらワインとターキーが至福の時を運ぶ。
日常と化した饗宴と悲惨な現実。シナイ半島テロのニュースが巨大なプロジェクションテレビから流れる広壮なリビングで大騒ぎする人たち、毎日繰り返し放送される惨劇のプロモーションビデオを、最悪だと吐き捨ててチャンネルを変えるムスリムのモアッズ。クリスチャンとムスリムが同じソファでニュースを指差しながらわいわい談笑する信じがたい光景がそこにはある。しかし、これこそ現実なのだ。これが人間なのだ。もっと話しをしたいと思いながら、明日は早いからと早めに辞して寝床に入る。
またもやコーランでたたき起こされたあと少し仮眠をして7時にエルサレムを再訪するためハナさんの車で出発した。まずアラファトの軟禁されている瓦礫の城を見ようということで、すぐ近くにある彼の住居へ向かう。ほんの数分で延々と続く粗末なコンクリートと有刺鉄線の上にわずかばかりの建築物の残骸が僕の目に飛びこんできた。なんということなのだろう。一国の主を閉じ込め、ミサイルヘリで猛爆を加えたと言うではないか!これは国家の行為ではない。マフィアの抗争のような恐ろしく非人道的な振る舞いを、あの悲惨な体験から人間回復を果たそうとしたイスラエルが行っている。自分たちが閉じ込められたゲットーを再生産し、パレスチナの人々を押し込めようとしている。
しかしこの中でアラファトは生きている。僕の眼球の数十メートル先にある瓦礫の中でしっかり生活している。ジョージがいつも言う「アラファトは不死身だ!彼は生き続ける!彼がいる限りラマラは大丈夫だ!」その言葉は確信などと言う甘いものではない。叫びとも願いとも思える痛切な祈りなのだ。もはや彼の命運は尽きたという奢りからか、警戒も無く半開きになった鉄のドアの前を悲しげに野良犬が振り返っていた。
僕達は深い沈黙を残して急いでその場を離れる。ハナさんが愛用しているチェックポイントを回避してエルサレムに入るルートを今日は選ぶ。彼は毎日その迂回路で通勤しているとのことだが、不安定なゲートで時間を食うならのんびりと好きな道をドライブしたいという彼の意見には重みがある。パレスチナ人の居住地域を寸断するかのように建設され続けるイスラエルの入植地を縫うように車は異星のような高原をひたすら走る。以前彼が働いていたというガレージでガソリンを入れたあと、壁を見ながら朝食という素晴らしい提案で、チェックポイントの近くまで戻る。しかし残念なことにカフェは閉じていた。普段なら10分とかからない場所に一時間かけてたどり着いたことが徒労に終わる。

ここから聖墳墓教会訪問のことと出国の話が続くのだが、今夜も遅いので明日にする。