ここはパレスチナ

思想と技術と愛

ジョージが今朝はやけに遅い。何かあったのではないかと心配になる。事実とも冗談ともつかないジョークを語りながら、よく食べよく笑い、悲惨なニュースはあえて見ようとしない彼らも、いつ理不尽な理由で殺害されたり収監されるかわからないのだ。笑えば笑うほど、元気であればあるほど背後の巨大な不安の大きさが気にかかる。もちろん我々も事件や事故に巻き込まれれば「自己責任」というひとことで闇のなかに消去されるのが落ちで、頼れるのは自分の直感と慎重かつ機敏な行動力のみ。それが国際社会ということなのだと理解する。5日にサカキーニのアディーラさんのところへ連れて行ってくれたハナさん(ジョージの弟さん)が、僕のデイパックを見て「黒は止めたほうがいいよ・・」。黒いデイパックを背負っていた子供が爆発物を入れていると疑われて狙撃されたからね!と気軽に忠告してくれたことが頭をよぎる。疑わしきは射殺せよ!それが子供であってもというのが軍令なのだ。理不尽だとか叫ぶ前にまず自分の命の保持に全神経を集中するしかない。※何かあれば朝日の堀内さんは書いてくれるかもしれないが、パレスチナの情報は極端にメディアに上らないからそれも期待しない!(故意か偶然か・・)
そんな不安をよそに、ジョージは今晩のバーベキューパーティーの食材をどっさり買い込んで戻って来た。そのせいで今朝のウォーキングは35分だと言っていた。今日は現場で細かい構想のすりあわせや、機材のチェックをする重要な日。相馬さんは何度も彼らと面識があって事情に詳しいと思うが、僕は何もかもはじめてなので非常に慎重な出足を心がける。悪い意味ではなく初対面からいきなり打ち解けず礼儀正しくゆっくりと近づくことが大切だ。
荷物を持ってすぐに車に乗り込むと、ジョージがパレスチナの朝食を食べようと誘ってくれた。開店が12時なので少し前に着いた僕達はなかで待つことにした。店の名前は「エッフェル塔」ガラスにエッフェル・スイーツと書いてある。きっとオスロ合意の直後はエルサレムにもラマラにも大勢の観光客が押し寄せて、この店も賑わっていたと思うと誰も座らない無数の空席がもの悲しい。旧宗主国の関係からか、アラブとフランスの関係は深く、パレスチナの人々も敬意を抱いているようだ。パリは素晴らしいところだと、会う人たちは口々に思い出を語ろうとする。
店にぎっしり並べられた小さなお菓子を、プラスチックの使い捨てコップに注がれた紅茶をすすりながら口に運ぶ。甘さもほどよく香りが素晴らしい。場所柄ということを差し引いても☆4つは確実。非常に洗練された印象があって、おもわず5ケースお土産にして欲しいと頼んだ。もちろんここでもアラブの流儀!ジョージは絶対僕達にお金を支払わせない。客人は徹底的にもてなすというのが彼らの誇りなのだ。数日ですっかり甘え癖がついてしまったが、1ケースサンプルを見せてもいらい腰が引けた、とてもではないがこれを持って帰るのは気が滅入る。なんども非礼をわびながら3ケースにしてもらった。
そうこうするうちに、ちいさなトーストほどの大きさで1500キロカロリーというチーズや木の実がどっさり入った不思議な食べ物が運ばれてきた。僕の聞き間違いかもしれないので後日訂正することをお許しいただきたいが、確かケナフかクナッフェでは無かったかと思う。なんと形容したら良いのだろう、出来たてでほかほかするその薄いチーズとヨーグルトの混ざったようなベースの上にどっさり木の実のクランチがばらまかれ、蜂蜜の香りも混ざった濃密な味。アラビアンナイトの世界に溶け込んでしまうような魔法をかけられたような・・・わからない、いったい僕は何をしているのか、恐怖感と濃密な味覚が意識を転換させてしまう。
バーベキューの食材とスイーツのお土産を積み込んで、アルカサバシアターへ直行。ジョージと相馬さんとコンセプトを話しあう。しばらく彼の部屋にいるとモアッズが僕を誘いに来た。今回はパレスチナの歌を使いたいねという話をしていたこともあり、ジョージがモアズにサンプルを聞かせるように指示したらしい。僕は技術の話、相馬さんはお金の話。それぞれ午後は持ち場で闘うことになった。
どの劇場にも凄いテクニシャンがいるが、彼はそのなかでも第一級であることがすぐにわかった。とにかく静かでジョークを欠かさない男だが、どこかにビシッと筋の通ったものを感じる。朝からバナナ一本だと言いながら軽快なステップでキャットウォークを走り回り、どこからともなくCDを持ちこんで即席のDJとVJを一人でこなしてくれる。そんな彼は打ち解けるとすぐにいろいろ本音を言い始めた。「この劇場に最も必要なのはクレージーなディレクターだ」(暗にジョージを批判していることはすぐにわかる)。彼のセンスとジョージや俳優達の作るものと彼のセンスには相当の開きがあるなという印象。矢継ぎ早に彼は「あの部屋にいては駄目だ、劇場で話そう」とか「難民キャンプに行くべきだ」「収容所にも案内したい」「メールは駄目だ、直接会って話さなければ何も決まらない」など重要で根幹に触れる言葉を吐く。ひょうきんな男の静かで強い意志!31歳の彼がなんと深く高いのだろうか。僕は感動しながら彼との濃密な数時間を過ごし、大きな装置の構想まで積み上げることが出来た。
しかし、この地にいることはただでは済まされない何かが常にまとわりついてくる。彼の弟も彼も彼の叔父も政治犯として捕らえられ、弟は5年の刑期であと2年、叔父は22年の刑期ですでに17年牢獄にいる。ジョージの妹さんも一年の刑を食らった、彼女が開放される日のホームビデオを見せてもらったが言葉も無い。モアズ自身は1年の刑期だが、刑務所は最大の学校だと言って大笑いする彼の背後に、決して絶望することが無いパレスチナ人の誇りがはっきりと立ち上っていた。
彼らの背骨と拮抗する何かを日本人の僕は必ず立ち上げる。それが彼らの歓待に対する正当で責任のある返礼である。