エルサレム

ゆたかな大地

あいかわらずジョージはウォーキングに出かけていて10時過ぎにノックがある。昨夜遅くまで打ち合わせをしたモアズもアパートに泊まったので今日は4人で朝食。本日の予定は朝日新聞エルサレム支局の堀内記者訪問。市街を車でひととおり見学したあと周辺の壁の建設状況をチェック。夕刻ヘブロンに住んでいる劇団員のハリードさんの自宅で食事の後、東エルサレムパレスチナ・ナショナルシアターで彼らの仲間が登場する芝居を鑑賞。帰宅後アパートでミーティングというスケジュール。
ジョージは僕達にはそんなそぶりも見せないが団員の給与も払えないような苦境にあるらしい。真綿で首を絞めるように狭まる包囲網のなかで観客は周辺にいる極わずかな人々に頼らざるを得ず、このあといつまで劇場運営をしてゆけるのか毎日毎日が危機の連続。しかし彼は僕にはそんなそぶりは少しも見せず、多忙ななかを僕達に少しでも現状を見せようとハンドルを握る。
11時ころラマラを出てチェックポイントに差し掛かるとラッキーなことに今日は待ち時間ゼロ。ストレスを与えるためにやたら長引かせたり数時間も待たせたりが日常化していると聞いていたのでヤレヤレと胸をなでおろす。とにかく理由など必要無いというのがこの地の掟なのである。こうやってスムーズに通してくれればエルサレムからラマラまでは車なら10分とかからないのだ。
堀内さんから相馬さんに昼食でもいかがという打診があったが、あまりに遅い朝食を、しかもたっぷり摂取した我々の消化器官にはランチの入る隙間が皆無、残念だが今回はお断りして13時に社にお伺いすることにした。社は市街中心部(とはいえエルサレムは日本で言えばちいさな町くらいの大きさ)の最も美しいと思える高層ビル。近くのコインパーキングに車を止めて時間つぶしにCDショップを見てまわる。ネットカフェにも寄ったりしたが、時折M16をぶら下げたポリスが所在なげに巡回しているだけでどこにも緊張感や不快感は無い。テロを恐れてもっと厳重な監視が行われているのかと思えば見た目には監視カメラでさえ日本のほうが多いくらいだ。とはいえ国民皆兵ユダヤ教徒は税金も兵役も免除)なので、市民全員が私服警官であるとも言え、それが見た目のゆるい警戒感を生んでいるのかもしれないと思うと不気味な気もする。
※ ハナさんからあとで聞いたのだが、ある時信号待ちをしていたら前方で爆発があった。そのとたん前後に並んでいた数台の車が青いパトライトを天井に乗せて一斉に前方の現場に向ったという!実に国民の70%近くの人々が何らかのセキュリティーの仕事に従事しているとのこと。偶然とは言え普通の市民が覆面パトを兼ねている国というのは何と言えばいいのか形容する言葉が見当たらない。
 13時になってマンションの一室にある朝日新聞の堀内さんを訪ねる。一階のエントランスで面会を申し込むと、なんと荷物チェックも無くすんなりと案内された。アークヒルズの交流基金でもこうはいかないので非常に驚く。マンションのなかはぎっしりと資料が積まれ、イスラエル人のスタッフが二人てきぱきとデータを収集。折りしもガザ地区では連日の惨劇があって、彼もガザ入りの状況をうかがっているとのこと。同じパレスチナでもガザとエルサレムに近いラマラ(アラファト氏が住んでいる)とでは相当に状況が異なる。単身乗り込んで記事を送り続ける彼の口から「いったい誰がこの記事を読んでくれているのかと思うと暗澹とする」という悲鳴を聞きながら、この状況のなかでこそ「アートや演劇」が人々に重要なのではないかと、敢えて3月公開の製作過程取材をお願いする。それぞれが必死で生きている現場にかわりはないのだから・・・。
 再会を約束し固い握手でその場を辞したあと他のエリアにある壁を目指す。ひとつの家族の真ん中に築かれた壁には、アラファト肖像画ファタハアラファトが率いる政党)のステンシル。そして焼け焦げたような痕跡が随所にあった。いまは痕跡だけだが市内のあちこちにインティファーダのときに殺害された市民を弔うシンボルがある。ジョージはぶんぶんぶっ飛ばしながらここで何人殺害されたと教えてくれる。
 オリーブ山から黄金モスクを見たり、城壁を見たりしたあとハリードさん一家を訪問。お母さんからお爺さんまでいったい何人暮らしているのだろうと思うくらいの大家族。次から次に親戚の人たちが出て挨拶してくれる。まずお母さんがザクロのジュースで歓迎。ほんとうにほんとうに美味い!子供達やおくさんが何かと世話を焼いてくれるので心が和む。チキンが炭火の窯で焼きあがるまで庭に散歩に出ると、あるわあるわ!たわわに実った何種類もの葡萄、さくろ、不思議な実。どこもかしこも黄土色でわずかにオリーブの木が連なる大地のどこにこんな実りがあるのか。スターウォーズの舞台のような土地に言葉にできないほどの美味しい果実が実り、優秀な灌漑技術に裏打ちされた豊かな農業(ちなみにイスラエルは農業国家で100%の自給率)が育っている。わいわい談笑しながら91歳のお爺さんと固い握手をしてお宅を辞した。ヨーロッパの動乱をすべて見聞きし、そしてこの家族を守り抜いて来たのだと思うとついつい彼の年齢もわきまえず力いっぱいか細い手を握り締めてしまった。今回は舞台美術だけではなく、彼らの生き様をそのままドキュメントにしてカタログにしたい。淡々と生き抜いた家族の歴史こそなにものにも変えがたい力なのだと思う。
 すっかり富貴ワインでのぼせた頭をふらつかせながらパレスチナナショナルシアターの席についた。ほんとうに申しわけないと思いながら睡魔が襲う。ジョージもこの芝居は駄目だと言いながら英語で翻訳して僕に伝えてくれる。子供達がたくさん歓声をあげるなか舞台は進む。どの子も実にお行儀がよく、楽しそうだ。中高の教師をしていた頃、団体鑑賞に生徒を連れてゆくたびに味わった必死に監督しなければならない屈辱的な思いは日本の特殊事情なのか、戦下のパレスチナの子供達が優れて立派なのだろうか・・答えの出ないまま反省会で延々と討論する彼らを後に劇場を辞した。