約束の地

文化の厚み

突然暗闇で鳴るクルアーンの音で目が覚めた。まわりは暗闇でまだ5時じゃないかと思うのだが、確かバングラデシュの朝もそうだったと思いながら音が収まるとまた少し眠った。起きたのは8時を少し過ぎていた。リビングに行って昨日あったことなどをタイプする。しかしネット環境はパリに引き続き悲惨な状況であることにかわりはない。ボーダフォンがどこでも入ることに比べると格段の差である。おまけにEメールを嫌う人が多く。じゃあメールでと言うと、必ず「会って話そう」という答えが返ってくる。
そうこうするうちにジョージが汗びっしょりで、山のような食材を抱えてジョギングと称するウォーキングから戻って来た。「さあ!朝ご飯だ〜」それまでに冷蔵庫のフルーツで結構底入れをしていた僕達は、そのパンの山と数種類のサラダにまたもや腰を抜かしてしまう。とにかく量が尋常じゃない。
そうこうするうちに、あいかわらず夢のなかにいるようでリアリティーが無い僕の耳にショッキングな情報が飛び込んだ。昨夜僕が聞いた音はやはり銃声だった。あのレストランから100mしか離れていない街中で、一般市民を偽装した特殊部隊がハマスの活動家3人を射殺したと言う。ジョージがあとで現場に連れて行ってやると言ったこともあり一気に目が覚めた。やはりここはパレスチナなのだ。遅めの朝食をすませると、すぐにジョージの車は劇場とレストランの中間に近い街に飛び出した。道行く人に事件の現場はどこかと彼が何度か聞いたが、「さ〜そのへんじゃないかな〜」と誰もが要領を得ない返事をするだけだ。どうも何かに気を遣っているような意識的に何気ない装いをしているような空々しさがある。ジョージも「まあこのあたりってことかな」とさりげなく言って、同じ市内にあるハル・サカキーニ文化センターのアディーラさんのところへと向った。
 彼女が電話をしている間レクチャールームのようなところで待っていると、ドアの横に古いドアが立てかけてあるのが目に入った。ノブのところが異常な形で捻じ曲げられた奇妙なドアで、一目で破壊されたものとわかる。もちろんイスラエル兵による破壊の跡であることは言うまでもない。彼らのパレスチナに対する嫌がらせは軍令という形で唐突に行われ、この文化センターも突然兵士がドアを壊して(まだいい方でアルカサバ劇場の入り口は戦車に破壊された)侵入し、コンピュータを片っ端から押収して行ったとのこと。アートや演劇はどの時代でも自由の砦になるために、圧政者からは一番先にマークされ目の敵にされる宿命にある。
そのドアを何箇所か撮影しながら待っているとアディーラさんが颯爽と登場した。まだ30台半ばとのことだが、僕でさえ気後れするような矢継ぎ早の質問が女神の彫像のような容姿から飛び出してくる。凄い、凄すぎる。こんな状況のなかでこんなに輝いている人がいる。フランス語と英語を流暢に操り、ヨーロッパのギャラリーにいる凄腕マネージャーと寸分たがわない。昨日から目の当たりにしたパレスチナ知識階層のレベルの前に、僕が抱いていた陳腐なイメージが恥ずかしかった。しかし、さすがに館内の作品コレクションはローカルなものが多くアートとしての価値を問われると答えに詰まることが多かったが、外の世界に飢える彼女に懇願されて、日本に戻ったらさまざななアートの情報を送ることを約束して別れた。
 パレスチナに来てジョージのジョギングのせいで朝食が遅いために一日二食が習慣になった。もちろん彼らも二食が通常のようで、テクニシャンのモアズは一日に一食ということもあるらしい。朝からバナナ一本とか言いながら働きに働く天才モアズ君の横で、空腹になると突然パワーダウンする我らが相馬さんはスタッフみんなに「アーユー・ハングリー」とよくからかわれている。劇場に戻った僕達はモアズと照明や施設の打ち合わせのためくまなく劇場をまわって写真を撮影してまわりながら彼といろいろな話をする。世界中どこに行っても美術館や劇場には天才的なテクニシャンに遭遇するが、良いテクニシャンに恵まれるかどうかが実は美術館や劇場の評価を決定的に左右することはあまり知られていない。彼の身のこなしや照明を自在にコントロールしてくれる姿を見ながら水戸の広川さんを思い出していた。
ここは、コンパクトな劇場なのだが、二階になっていて一階はシネマテークで二階が劇場。天井の高さも一応5.5mほどあり客席も300近い実に立派なものである。今日は一応の下見ということにして、ジョージに促されて本日のミッションを終了、夕食の準備を彼の別れた奥さんのマンションに受け取りにゆく。劇場、レストラン、サカキーニ文化センター。すべてが車で数分の圏内にある。もちろん彼の別れた弁護士の奥さんの家も数分の圏内だ。あまりプライベートなことは聞きたくないので詳しい突っ込みはしなかったが、いまでも仲良しでしょっちゅう行き来。僕達が来ると知ってちゃんと料理を作っていてくれたようだ。タージマハルのようなエントランスのなかから妹さんがパックに入った料理をジョージにことづけた。ずっしりと重いが何かわからないまま車内に乗り込みレジデンスに戻った。
瓜のなかにロールキャベツのようにたっぷりと具の入った不思議な詰め物を食べたあと、夜はとことんジョージとモアズを交えて新しい舞台についてミーティングをした。僕の関心事は一度も国家を持たなかった人々のアイデンティティーとは何かということ。占領が数千年続くというのはどういう意味なのか・・・彼は長く更け行く夜、旧約聖書の話を眼前にあるかのような語り口で僕達に聞かせた。パレスチナの人々はイエスが現れるよりもずっと前からこの地にあって、約束の民として度重なる苦難を生き抜いて来たのだという。旧約聖書の民、それが彼らの誇りなのかもしれない。