リスタート

カリスマは危険

シナイの爆破やテロのニュースをかいくぐって帰国。無事とかそういう問題ではなく、パレスチナにいるジョージやどんどん狭められる生活を思うとやりきれない。現地でネット環境が不自由で、アップできなかった記事を明日にかけて順次アップして行こうと思う。

数日後これを書いているのだが、まず戦後のとんでもない日本の教育の失敗は世界史を必修にしなかったこと(受験のため)。そのためただでさえ内むきな日本人の内向ぶりが加速されてしまい、国際社会の笑いものになってしまった。恐るべきは庶民から外務官僚まで例外無しに・・・・
ということでゼミ生諸君に基本知識!

○BC1020@サウルがユダヤ人として最初の王となる>ダビデ王が北方のイスラエルと南方のユダを統一・エルサレムを首都に>息子ソロモン王のとき古代ユダヤ王国最盛期
エルサレムに壮大な神殿(第一神殿)
○BC721年イスラエル王国アッシリアに滅ぼされる・ユダ王国バビロニアに滅ぼされる
○BC586年第一神殿破壊・バビロンの捕囚・ディアスポラユダヤ人の離散)
ペルシャバビロニアを征服・エルサレムへのユダヤ人帰還を許す@第二神殿再建
○ローマによる第二神殿破壊
ビザンチン帝国の支配
○アラブ軍による支配
○十字軍の遠征
マムルーク朝支配
オスマントルコの支配
※元来イスラム教はユダヤ教徒を同じ啓典の民として寛容に扱っていた。
○ドレフェス事件をオーストリアユダヤ人新聞記者ヘルツルが取材し、1895「ユダヤ人国家」という本でシオニズムを提唱。※当時のエルサレムオスマントルコ領の地方都市で人口はたった7万
○1914年第一次世界大戦オスマントルコはドイツについて敗北。
○1917年12月イギリスのアレンビー将軍エルサレム入城
○対トルコ戦でアラブの協力を得るため、駐カイロ高等弁務官ヘンリー・マクマホンとアラブの指導者メッカ太守フセイン・イブン・アリがフサイン・マクマホン協定を締結>協力してトルコと闘えば、現シリア周辺地域にアラブ人国家を作ると約束、しかしパレスチナという文言は無いので水掛け論。
○1916年サイクス・ピコ条約でイギリス・ロシア・フランスはトルコ領を秘密裏に分割密約。フサインに渡すと約束した同じ場所をフランス領にするなど矛盾
○1917年バルフォア外相がパレスチナユダヤ人国家を樹立する「バルフォア宣言」を発表
1920年イギリスによるパレスチナ委任統治開始
1920年4月4日・はじめてエルサレムで衝突が起こり、今に続く紛争の発端となった。
※1936年から3年間の死者>ユダヤ人500・英国150・パレスチナ3000(内1000はスパイとしてパレスチナ人同士で粛清)
○1939第二次大戦が近づくと再びイギリスはパレスチナに色目。バルフォア宣言を見直しユダヤ人の移民を規制。
ホロコーストを生き延びたユダヤ人10万のパレスチナ移民を拒否。ユダヤ人過激派エツェルやレヒの対英テロ激化。
イスラエルが建国に際しテロを手段として使っていたことは意外と知られていない。
○イギリスはパレスチナ委任統治を投げ出し、国連に委託
○1947年11月29日。パレスチナ分割国連決議。イギリス棄権。ソ連アメリカ賛成
※双方爆弾テロの応酬・内戦状態に
○1948年5月14日イスラエル独立宣言ダビッド・ベングリオン。ただちにアラブ連合軍がイスラエルに向け大部隊で侵攻開始(第一次中東戦争)。
※トランスヨルダン軍の司令官はイギリス人将校というねじれ現象
○戦争開始時の圧倒的不利をくつがえしイスラエル勝利。エジプトと休戦協定を締結し国家の基礎を固める
※この時はじめてパレスチナ難民が発生。現在までに400万人を数える
○1956年第二次中東戦争
※ナセル大統領のスエズ運河国有化が発端・英仏にイスラエルが同調。以後武器調達がチェコからフランスに
○1967年第三次中東戦争(6日戦争)
※水資源問題が根底・電撃作戦
○1973年10月6日ヨム・キップールの奇襲。油断したイスラエル存亡の危機に、当時のメイヤ首相は核兵器を使う一歩手前に。ダヤン国防省の戦略でかろうじて痛み分け
○1977年イスラエルコンプレックスを払拭したが戦費で疲弊したサダト大統領電撃的にエルサレムを訪問し単独和平交渉開始

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以下現在の状況は今整理中なので追って掲示します