お盆はひきこもり

左は1580円の既製品

いままで怒涛のようにあちこち出歩いていたのと、オリンピックが始まったことが相乗効果を起こして、お盆はすっかり引きこもり。放送の合間に家の周囲で草を引いたり、近くのスーパーに食料買出しに行ったり、昨日は紀伊山地神仏習合熊野古道を二泊三日で巡る行程を企画するのに一日かかったり。やらなきゃならないことはたっぷりあるのに、なぜかこの週末は仕事をしたくない気分だった。
フィラリアで今年の夏がヤマと言われていた「ゴン」もこの猛暑のなかで奇妙に元気。老人性おもらしで犬小屋周辺が動物園っぽい臭いがすることと耳がほとんど聞こえないこと以外は、ぐいぐい歩くし溝は飛び越えるし、夜の散歩で遭遇するイノシシ家族にもひるまない。そのゴンが眠りこけてる上のほうに、去年も我が家を訪問してくれた巨大なモリアオガエルの「モリシー」が、ふらりと戻って誘蛾灯に集まる虫を狙っている。
しかし、平和は長くは続かない。妻にエアコンのカバーを作って欲しいと頼まれていたことを思い出してしまったのだ。いつもパソコンの前に居て顰蹙を買っていることもあり、俺もやれば出来るところを見せなきゃそろそろヤバイという予感もあり。家に転がっている廃材を使って簡単な遮光カバーを作ってみた。4時間ほどで出来たのだが、僕の人件費を考えると当然ホームセンターで2450円のを買って来るほうが安いに決まっている。しかし「冷蔵庫の残り物で作る料理」という独特のジャンルが存在するように、大昔の作品を作った余りをかき集めて「生産的な?もの」を作るというのは、市民として実に誇り高く健全な気分をもたらせてくれる。近所の人に「ご主人精が出ますね〜」などと言われると日ごろ怪しい作品を作っているといううしろめたさを、晴れやかな桃色の雲がほんわり包んでくれるような良い気分である。
ところが、数ヶ月前の大掃除ですっかり残材を処分してしまい、ルーバーに使う適当な木が無い。いつもの癖ですぐにホームセンターで買おうと安直な選択をしようとした矢先、「あれ使えないの?」という妻の声。あ”あ”それは額縁に使った「サクラ」の銘木・・・。めっちゃ高い木なんです。「でも二度と使わないんでしょッ?」。この木は昔額縁を自作していたときのもの、二度と使わないとわかってはいてもさすがエアコンのカバーに使っちゃあかわいそうだという未練が残る。※そのあと昼食を挟んで、この木を使うかどうか2時間も思案した(アホか?)。

しかし、最後は「冷蔵庫の残り物」という哲学が「コスト(無)意識」という経済に勝利して本日の名作は完成した。なんと!キシラデコール(防腐剤)を塗ったあとに見事な木目が輝き、そこはかとない品格が漂う(自分が思うだけ?)。腐っても鯛!腐っても銘木!

三角貿易の上に乗っかって、低価格の製品を使い捨てする経済にどっぷり首まで使った僕を、銘木の木目が睨んでいた!