69

松井さん

を見てきた。木曜日の18時50分という超中途半端な時間帯だったためか、広い館内には5〜6名しか見ていない。妻夫木聡のファンらしき女子学生と、あとは20代の若者がひとり。いままでのなかでも記録更新級と思うほど閑散;;。ひと気のなさに驚きながらも、少し映像が流れ始めたころから「これはヤバイ、これじゃあの時代の空気がつたわらない」と思う気持ちでいっぱいになる。
69年に高校に入学し、その年に生徒会議長にならされて気がつくと、当然のように学校には管理能力が無く、集会といえば先生は逃げて、他校生が平気でゲバ棒持って会議を邪魔に来る始末。連中に壇上に追い込まれ、やけくそで演説をぶった武勇伝が有名になると、いつもはケチな友人が妙にひとなつこくカレーをおごってくれたあとで、にわかに某政治団体の機関紙を取り出す。映画のなかは警察が事情聴取に彼の家に来たときでさえのどかに見えたが、僕には何もかもがリアルでとても怖かった。
そりゃ松井和子のような彼女もいたし、フォークダンスで手を握るだけで興奮したりと懐かしい時代。サッカー部のロミオ(超絶ハンサム)が電車でチカンしてはその体験談を教室で話すもんだから全員卒倒しそうなくらいに興奮したり(一話で数ヶ月パワーが持続する)。
でもそんなことじゃない。わからないだろうと言うのは、どこにでもあるほろ苦い青春の話なんかじゃない。あの年(69)を境に急速に変質した日本人のことが、あれじゃあわからないということなのだ。69には管理する学校という明確な敵が幸せそうに描かれていたが、あれは嘘だ。敵はすでに正体を隠し、つっかかる若者に肩透かしをくらわせ、そして70年万博がすべての日本人から政治を奪い去った。白い闇があのときに音も無くバリケード封鎖した校長室(僕の高校)のドアの下から僕達の意識を失わせるように這い出てきたのをこの映画は描いていない。

「コンニチワ〜コンニチワ〜セカイノ〜クニカラ〜」そして物質的な繁栄は今も続き、69の亡霊は隙間の時代に青春を送った特別な人々を苛む。村上龍は、この世代に刻印された宙吊りの恐怖を、いとも簡単にノスタルジーと引き換えてしまったことに気づいているのだろうか?