万国博覧会

1851年

といえば太陽の搭やエッフェル搭を思い出すが、100年以上を経てますます元気なオリンピックに比べると70年万博を境に急速にこちらのほうはパワーダウンしている感がいなめない。と言うよりもデパートとコンセプト的に双子の関係にある万博というシステム自体が老朽化し、いまの時代に適合できなくなったというのが正直なところだろう。皮肉なことに愛知がくすぶったあとて、上海が最後に大きく輝いて白色矮星のような最後を遂げる。これが万博という20世紀を彩ったひとつの形が終焉するシナリオなのかもしれない。
こうして損な役回りを演じることになった愛知博は開会前から評判がいまひとつだ。特に関西に住んでいると何の気配も感じない。何が起こっているのかもわからない。まだ早いのかもしれないがテレビCMもなければ新聞広告もない。要するに存在感が超希薄なのである。

なぜだ〜!

最大の原因は必然性があまり感じられないから、かかわっている人間にガッツ(気合)が出ない。ギリシャのオープニングのようなカッコいいことやりたくても、人材がいても、錯綜する利権と行政の責任放棄を代理店が翻訳作業するという仕組みが常態化したわが国では望み薄。テーマパークには予算で勝負にならないから最初から落としどころを考えてやってるというのが本音なのだが、それではあまりに税金がかわいそうだ。僕は根っからマゾヒストなので、今回も火中のどんぐり(栗のようにデカクない)を3つぶ拾ったけれど、おそらく「超ごくろうさん;;」に終わるかもしれない。

気長な話とは思うが、星の数ほど関係してるアーティストや職人がしっかり自己主張して、現場を知らないで勝手なことするお代官様やお代官様のご機嫌を伺う口入屋の言いなりにならないようにしっかり根性を据えることが大切なんだと思う。

僕も昨日偉いさんに「モリゾーとキッコロ」のキャラはイケテナイので使いませんとヤンワリ言ったのでありました。

アーティストのみなさん(^^)小金もらって言うことも言えなくなったら本末転倒で〜〜す