草が音を立てて伸びる

民主と愛国

そんな音がしてきそうな我が家の裏庭はしばらく見ないうちにうっそうとした森のようになってしましました。狭いところに苗木だからと甘く考えてたくさん植えてしまったために、栗やくるみが大きくなってしまって始末に負えなくなりそうな予感がします。日本の庭園は昔から実のなる木は植えない(病虫害がたいへん)とか落葉樹より常緑の松や柘植をしっかり剪定して植えるなどの型を維持してきましたが、やはりそれには狭い敷地の緑の管理を継続的に行う必要から生まれた風土の知恵があったように思います。

今日はその木々の合間に少し見える空き地を猛然と埋め尽くそうとするオヒシバやメヒシバなどの単子葉類の雑草を薮蚊に刺されながら抜きつつ、アーティストというものを職業と考えずに生物的なシステムと考えるとどんな機能を果たすのかなと、ふと考えました。

蟻や蜂など集団で生活する生物は、複数固体の協調作業(DNA ONLY?)によって大きな目的を達成する傾向を強く持っていることは自明の理です。また昆虫の次にこの惑星で成功したと思われる人類は、言語と文字の発明によってこの協調作業を最高度に強化しました。そしてその背後で、集団で創造行為を行わない、もしくは集団を有効に機能させることに失敗した種は急速に滅んでいるように見えます。しかし過度に集団主義に依存すると、そこには多様性という種の進化上欠くべからざるシステムが欠如してしまう危険性もはらみます。生物はその危機を雌雄という発明や突然変異というギャンブルで凌いできました。

私は、アーティスト・システム(数学者や哲学者など個で創造を行う希少種)は、人類という種がその社会を維持し発展させるため、集団主義の欠陥を補完し未曾有の危機に遭遇したときに、段階的でなく飛躍的な危機回避を図るために超個体に対して最大限の自由を用意したシステムではないかと考えています。

よってアーティストの特性は、集団主義的傾向を持たざるを得ない「社会生命体」に対し、常に創発的であり挑戦的であり革新的であることによって機能することが自然であって、天邪鬼であることが本性なのではないかと思っています。
ですから権力サイドの人々が賢明であるならば、これらアーティスト・システムの機能を理解し、彼らの批判的創造行為の背後にある提案に耳を傾け、彼らが体制に迎合しないように工夫する度量の広さと、公的な援助を選択的に行う知性を有するはずなのです。

この高度に洗練された相補性が保障された社会は、常に開かれており革新的であり民主的なのです。それは政治にとっても民衆にとっても豊かな社会であり、戦争や侵略という短絡的な手段に頼らずに社会を持続可能な状態に保つのです。

しかし、日本は世界でも類を見ないほど個が脆弱な国家であり、個という概念すら未発達な社会構造を有しています。そして個ではなく集団的な直感やイメージによって非常に短絡的なメディア操作を受け入れてしまいます。

○本日は絶対誰も読まないだろうなとは思いつつ、たいそう大切な本と映像を紹介しておきます。このふたつを知らないとまたいつか戦争になってしまいそうな嫌な予感がするのです。

※「ゆきゆきて神軍原一男監督 奥崎謙三のドキュメント

※「民主と愛国」小熊英二 原稿用紙2500枚の大著です。

余談:僕の長男はこの先生のレポートで引用記事に引用先を入れなかったために半期の他の科目も含む全科目の単位を剥奪されたのです。しかしネット時代の倫理を厳しく指摘していただいたと受け止め処分に服させました。しかしその後同じ過ちをした学生の親が裁判を起こし、結局大学はその学生には単位を認めたのです。私はその経緯をすべて承知の上で現在も沈黙を守っていますが、いかに人間は簡単に言説を曲げるかということを身にしみて感じる一件となりました。文化人もアーティストもある圧力の下で個として機能することがいかに至難の業なのか、思いと覚悟を深くしました。